雨の日

雨の日の憂鬱さと言ったらない。やはり自分が稼いでいる感覚がないと、買い物をするときも一々後ろめたさを感じるし、満足できない。新しいバイトを見つけなければならない。親から生活費はもらっているし、使おうと思えば使える状態ではあるが、やはり後ろめたい。一人暮らしの宿命なんだろうか、

無駄

最近の土日は一日中ネットの前にいるか映画を見に行くかどちらかだ、まずい。非常にまずい。バイトをやめてから反動のようにダラダラしている。やはり何事もほどほどが大事だ。今週から心機一転で頑張ろう。夏休みに免許を取ってからもう一か月たったが何もしてないことに危機感を感じ始めた。ほかの人と比べてとか、テレビで見てとかじゃなくて自分の中で思い始めたことなのでこれはなかなかヤバイ。自分で感じるということはこれまでに類を見ない位ダラダラしているということだ。来年から頑張ろうとかあほなことを考えていたが今日から頑張ろう。自分のできる範囲でやってみよう。よく本とかドラマとかで、無駄と思えることこそ重要なんだよ。とかあるけど、自信をもって言える。ここ最近の過ごし方は意味がない!何も生み出さない!最近買った安い歯磨きのせいで口が噛み終わったガムの匂いがする。とりあえず早く寝ることから始めよう。

君の膵臓を食べたい。映画 感想

泣いた。とんでもなく泣いた。やはり結末がわかっていてもそこに至るまでの過程が素晴らしければいい作品になることを再認識した。泣けるポイントが畳み掛けるように三か所あり終盤は泣きっぱなしだった。恋愛要素だけではなく、人としての憧れ、尊敬のような部分がお互いにあったのも好印象。100点の映画。死ぬことが分かっていて本当は怖いはずなのに明るくふるまう少女、人とのかかわりに興味がない青年、大人になった青年に届く過去からのメッセージ。見たほうがいい。

遺伝

最近、エイリアンコヴェナントという洋画を見てきた。友達といったのだがなんでもいいよと丸投げしたらこれになった。ほんとに何でもよかったのだがまさか数ある中でこの映画をチョイスするとは思わなかった。びっくりするほど興味がなかったが見てみたら意外と面白くてびっくりした。やはりなんでも見る前に判断するのはよくない。全てにおいて、ここ最近の休日の過ごし方がほんとにひどい。一日部屋にいることもざらにある。お父さんも休みの日は一日中パソコンの前にいてお母さんとばあちゃんに非難されているので、やっぱり似てるのかなぁと思う。俺が寄せてるのも少しあるけど、でもいくら何でもひどい。今日は有意義に過ごそう。そういえば夏休み明けから一度も行ってなかったバイトをやめた。理由はいろいろあって辞めたことはよかったのだが、言い出すまでに1月かかってしまった。やめることなんてこれからもたくさんあるんだからこの程度の事を言い出せないんじゃしょうがない。早速次のバイトを探さねば。最初のバイトは初めてだったのでいろいろと考えなしなところが多かったので次はその辺気を付けよう。

おにいちゃんのハナビ 感想

授業の空き時間にお兄ちゃんのハナビという映画を見たので感想

ボロボロ泣きました。感動します。妹がいると特にかもしれない。お話の大体の流れや結末などは予告編や、DVDのパッケージ裏に書いてありほぼ予想はつきます。でも泣ける。花火を見たいといって死んでしまった妹、その妹のために奮闘する兄、それを見守る親、出てくるすべての人が自分以外の人のために動いている。決してお涙頂戴の唐突な死ではない。いなくなってからわかる大切さなどではなくずっと大切でこれからも大切な人。自分も妹をもっと大切にしようと思った。最後まで感動するので是非見てほしい。

印象

最近自分の住んでいる寮で遊びに行く計画がたっていたらしい。なぜらしいなのかというと自分はその計画を2日前に聞かされたからである。その時相手は「しまった」という顔をしていた。そしてなぜ誘ってくれなかったのか理由を聞くと、言っても断られると思ったとのこと。誘われなかったことより、自分の印象がもうそんな感じになっている事が驚きだった。確かに誘われても二つ返事で応じることのほうが少ないとは思うが会って約半年の人間にもそう思われているのはあまりよくない。よほど自分の断わり方が悪かったのだなと反省している。うまい断わり方をもっと考えないといけない。周りに合わせることはあまりしたくないなぁ。自分が遊びたいときだけ誘ってくれればベストだけども、遊びたいときに誘ってもらうにはつまらない遊びにも付き合わなければならない。ジレンマ。自分みたいな自己中心的で頑固な人間には難しい。

更新頻度と忙しさは反比例する

移動手段が徒歩になってしまったので自分が死ぬほど嫌いな有効に使えない移動時間が増えてしまった。電車やバスはまだ本でもケータイでもできるが歩きや自転車はそんなことしてたら危ないし禁止されている。考えることぐらいしかできない。自分にとってはそんな時間が無駄としか思えない。歩いている時に考えたのが過去の自分と今の自分はどれだけ変わったのかということだ。旅行に行った時母親に言われたのが遊覧船に乗るかと聞かれて「もういいんじゃない」と答えたときに昔なら乗るって言ってた、と言われた。その言葉に特に深い意味は多分なくて母親が想像した昔が小学生なのか中学生なのかはたまた幼稚園なのかはわからないが、その時は考えなかったが今ふと思うのはどれだけ自分の認識している自分とほかの人から見えている自分が違うのかということ、どれだけ自分は変わってしまったのだろうか、変わるのが悪いこととは微塵も思っていないが、多分外見に大きな変化はない。内面がどれだけ変わったのかということ。

割と子供のころから良くも悪くも現実主義だったような気がする。一番古い将来の夢の記憶は消防士だ。たしか保育園だった。小、中、も同じような感じだった。ヒーローや

世界征服とか子供らしい夢(古い?)はもちろん宇宙飛行士や総理大臣などの可能なものも言わなかった。親の影響なのか本の影響なのか母は何になりなさいとか具体的に自分に言ったことは無い。これは間違いない。小学生の時は成績もよく可能性は十二分にあったはずなのだがそのような夢を語った記憶がない。今もなりたいと思わないんだけどなんで言わなかったんだろうか、無理と最初からあきらめていたのかそもそも考えの外だったんだろうなぁ小学生の時に考えていたことは思い出すとゲームの事。明日の遊びの事。恋の事。そんなもんか、そもそも小学生の時にそんな夢を思い描いているのは紛れもない天才か洗脳かどちらかだろう。ここまで書いたように内面の変化なんてものは自分でもわからないんだから気にする必要はない!