更新頻度と忙しさは反比例する

移動手段が徒歩になってしまったので自分が死ぬほど嫌いな有効に使えない移動時間が増えてしまった。電車やバスはまだ本でもケータイでもできるが歩きや自転車はそんなことしてたら危ないし禁止されている。考えることぐらいしかできない。自分にとってはそんな時間が無駄としか思えない。歩いている時に考えたのが過去の自分と今の自分はどれだけ変わったのかということだ。旅行に行った時母親に言われたのが遊覧船に乗るかと聞かれて「もういいんじゃない」と答えたときに昔なら乗るって言ってた、と言われた。その言葉に特に深い意味は多分なくて母親が想像した昔が小学生なのか中学生なのかはたまた幼稚園なのかはわからないが、その時は考えなかったが今ふと思うのはどれだけ自分の認識している自分とほかの人から見えている自分が違うのかということ、どれだけ自分は変わってしまったのだろうか、変わるのが悪いこととは微塵も思っていないが、多分外見に大きな変化はない。内面がどれだけ変わったのかということ。

割と子供のころから良くも悪くも現実主義だったような気がする。一番古い将来の夢の記憶は消防士だ。たしか保育園だった。小、中、も同じような感じだった。ヒーローや

世界征服とか子供らしい夢(古い?)はもちろん宇宙飛行士や総理大臣などの可能なものも言わなかった。親の影響なのか本の影響なのか母は何になりなさいとか具体的に自分に言ったことは無い。これは間違いない。小学生の時は成績もよく可能性は十二分にあったはずなのだがそのような夢を語った記憶がない。今もなりたいと思わないんだけどなんで言わなかったんだろうか、無理と最初からあきらめていたのかそもそも考えの外だったんだろうなぁ小学生の時に考えていたことは思い出すとゲームの事。明日の遊びの事。恋の事。そんなもんか、そもそも小学生の時にそんな夢を思い描いているのは紛れもない天才か洗脳かどちらかだろう。ここまで書いたように内面の変化なんてものは自分でもわからないんだから気にする必要はない!